20170423

私とカメラ





カメラを持って外に出る時は予感がする時。 それは「あっ今日は何かをキャッチ出来そう」という予感。 ふと窓の外を見たら光が呼んでいるように感じられる。今しかない光の景色が、未知の世界を用意して待っているような感覚。

普段という日常を越えた何かがふっと現れそうな気がするのだ。 「日常を越えた何か」というのはきっかけに過ぎないけれど、それに触れることで私は「新しい視野」や「これまでとは違う感覚」を手にする事が出来る。歩いていると「日常を越えた何か」が私を呼び止める。カメラを取り出すのはそんな時。声がした方向にレンズを向ける。フォーカスを合わせる。でもレンズが切り取った一場面は、そのままでは日常そのものの集合体だ。小動物がひょっこり顔を出すように「日常を越えた何か」が顔を出している訳じゃない。あれもこれも普段目にするものばかりが写されている。つまり私はまだ網を放って根こそぎキャッチしたに過ぎない。

私の仕事はまだ続く。一番大事な仕事は日常から「日常を越えた何か」を選び出すことなのですが、その過程でヒントは浮かび上がるけど「キャッチしたい新しいものの正体」がまだ遥か向こうだったり、こっちを進めば本道なのに、なんだかとても面白そうな小径が見えたりと、忙しかったり面白かったりする。実はその迷路遊びが私の仕事だと思ったりもする。そしてその中で得る感触が今までの私が持っていた知識や情報や知恵を越えた「新しい視野」や「これまでと違う感覚」なのかもしれない。ちょっと説明が難しいのだけれど「ワクワクする発見の過程」こそが作品で「日常を越えた何か」なのかもしれないとも思う。


それでは作品とされる写真は何かということなのですが、日常の向こうにあった「何か」を定着させたものなのは確かなのです。