20171228

空想画廊vol.3 #5『月に通じる穴』



「ここがフランソワ・デベルグ通りの3番地です。ムッシュウ」  パリの第二十区から東の都市、モントルイユ。  江戸下谷七軒町の越中屋与惣次郎の次男、寅吉は言った。 「降ろしてくれ」  この寅吉、天狗にさらわれ、体験し、見聞したいっさいを平田篤胤(ひらた・あつたね)に語った仙童、「仙境異聞」にて登場するあの男子である。すでに宇宙すなわち空間と時間において融通無碍(ゆうづうむげ)、サンジェルマン伯爵のごとくこの地球のどこにでも姿をあらわす術を心得ている。  降りた場所のまえは空き地だった。ここが3番地なのである。  タクシーが去ってから、寅吉はラウンジ・スーツの上着の右ポケットから一枚のカードを出した。白い、何も書いていないカード。場所は明かせないが、パリの某蚤の市にて発見したカードである。  そして、じぶんの懐から彫金の施された銀のカードケースを出し、そこからもう一枚、カードを出す。  やはり、白くて何も書いていないカード。  蚤の市の店主からはじまり、調べにしらべてついにここにたどり着いた。もとは浮浪者がここで数枚ひろったのだということだった。

 ということは、彼らはここにもあらわれたのだ。  寅吉は誰に断ることもなく、通りから境界をこえてその空き地のなかへ、奥へとずんずんと踏みこんでいった。フランス初の映画のスタジオ、イギリスの水晶宮にもみまがうばかりの全面ガラス張りのスタジオのあった場所。  かつて「大砲クラブ」が設立され、すでに数学や天文学、地質学や光学にもとづいてつまびらかにされた月面の地図をかかげて、占星術を修得した博士たちが議論をした場所。長さ274メートル超、重さ68,040トンのコロンビアード砲が建造され、6人のアストロノウツが直径2.7メートル、約87トンのアルミニウム製の砲弾型ロケットに乗りこみ、秒速にして初速約11キロメートル毎秒にて地球から飛び立っていった場所、着弾した月面のあった場所、探検をした場所。セレナイトの兵隊に出くわした場所。セレナイトの大王に謁見した場所。そして彼らが帰還した場所。  ここから地球上で行けない場所はなかった。いや、物理的にありえないことですら存在することを許された場所だった。  しかし、その赤土の更地にはくぼみひとつなかった。よくもまあ、ここまできれいに整地したものだ、と寅吉はため息をついた。  あのモーターサイクルに乗った白い一隊がのこしたカードの枚数から、そしてジョルジュ・メリエスの製作した531本の映画の数から推測して、このカードは少なくともあと500枚はあるのではないかと思っていた。が、今回も手がかりらしきものは得られなかった。きょうはもう、月影のゆらめきを待つ時間はない。  寅吉は土のうえにどっかとあぐらをかいて座ったかと思うと、両手で土を掻(か)きだし、ごしごしと捏ね、なんとか直径が15センチくらいの、ぶかっこうな分厚い壺を作った。そして片足を踏み入れたと思うとあっというまに全身がそのなかにすっぽりと収まり、その直後、壺は大空に跳び上がってたちまち小さくなっていき、どこに行ったかわからなくなってしまった。





文/ 半田 哲也

絵/ 細木 るみ子『月に通じる穴』2017