20180521

Diary

このところアトリエからお送りいたしていることが多いんですが、引きこもって制作ばかりでもなぁと昨日は展覧会を三つはしご。カフェミント、フローモーション、帯広美術館のナショジオ展。見た。というより、久々に作家さんや学芸員さんとおしゃべりしまくって帰宅。ナショジオ展、写真家ビデオでこの命知らず感ってことは、現場はどんな?赤い真っ赤な火山爆発のまっ赤赤な写真の赤さったら。
実際のところ、日々引きこもって制作三昧できるのかといえば現実は仕事と雑用の谷越え山越え、ようやく制作にたどり着いたころにはもう疲れ果て夜なのだという毎日。しかしここで就寝してしまうと永遠に制作ができないので、よっこらしょと始めるわけです。昨日は画面大きく変化。壊す。ぶっ壊す。気取ってかっこつけてまとめるなんてつまらないのさ。もっとヌッと、なにかがあらわれ出る感覚。そう、なんかを破ってさ。息の詰まるような皮膜を。そして、もっと新しいもんが見たい。もっとうおおおおってさ。なりたい。そんで、扉を開けようとぶっ壊す。でも、ただ破壊するんじゃなくて。こじ開ける。壊すことはつくることの予感。新しいもんが顔を出してきたら。おお、きたきた!逃さないよと引っ張り出す真夜中の絵描き。
そして、同じサイズの大きめパネルを今朝引っ張り出した。そうつまり、このところ連作制作なんですが、並べるスペースがないので、紙芝居のように引っ張り出しては描いている。同時に小さい絵も描いて。紙の質と大きさが変われば、まったく違う世界が現れる。そこに鉛筆が重なれば、同じ光はひとつもないってことがわかる。
光を受け取る地平は、どの紙の上にもある。眼前にある。それぞれの紙宇宙スケール上で、光はホログラムのようにさまざまな景色を見せるんだ、で、それを。その景色の機微を優しくたどり、もしくは破壊大魔王のごとくぶっ壊して。新鮮な息を吹き返した新しいものをギュッと取り出すんだ。そんな繰り返しでどきどきわくわくな臨場のカタマリを新しく今日も作るのさ。